迷想

頭のなか

生産性

生産性というものがない。とにかく命を消費してるだけのような毎日。仕事を辞めたところで趣味が特にあるわけでもなく。なんとか何かをしようと物を作ってみたけどまだ出来上がらない。普段やらないことをやる集中力は1日しかもたない。連日やろうという感じになれない。
読書もした。タイトル買いした小説である。しかしそこから何かを得るとかそういった考えはなく、テレビのない、漫画のない広い家でどうやって過ごそうかという問題を何とか解決すべく選んだ手段に過ぎない。

これまで生きてきて生産性のある活動をしてきたかすら疑問である。常に受動的で与えられた役割、仕事の消化。何かを産み出すのがこの上なく苦痛である。

意識の高い人が苦手だったり、自分でしたことを語ってくる人が苦手なのは何もしていない自分を比較して劣等感を抱いてしまうからな気がする。

社会不適合だと夫にも言われる。生産性のない人間なのだからそうだろう。というか、生きる意味のある命とも思えないような時がある。何もしていないのにここに在る価値はあるのかと。私のようにやる気がないとか、てきとうに生きているだとか、そういう話は聞くことがあるけれど、よくよく聞いていたらその中にも夢があって、やりたいことがあって、希望があって。なーんだ、私よりやる気があるじゃないか、となる。

大きな挫折はしたことがないけど、自分が目指したものを叶えたこともない。英語の教師とか、カウンセラーとか。強いて言えば結婚して子どもを授かる、これが叶ったくらいである。私の中では一時期これもどうでもよくなったことでもある。このまま一人なんだろうなと思ったこともある。結局それはできたのだけど。

なぜここまでやる気がないのか。自分に合った仕事はないものか。私は何をすれば満足するのか。どうすれば消費しているだけの命ではなくなるのか。何もすることがないから、こういうことばかり考えるのか。子どもが生まれてきてくれたら一生懸命になれるのか。生産性が備わるのか。

することがないと思考は滞る一方である。